るみは風の中

売られた喧嘩は買います

信じるって目に見えないじゃん。だから結婚指輪とかで物にしないと結局人間は安心できないんですよ。

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食欲

食欲が急に失せた。栄養失調とストレスで膝が痙攣する。痙攣って漢字でもプルプルしているのね。

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風の中

絶望の際に立たされて生かされています。

一歩でも先に進めば私は焼かれて死んでしまうそうです。私の腕を引っ張ってくれる人は誰も居らず、外から落ちることを期待しながら歩いている人しか見当たりません。満月が怖いです。人間の心境の変化が怖いです。毎日夜が来ることが怖いです。どうやっても私は劣等感しか生まれず、何かと闘わされています。私には絆創膏も、椅子も、用意されていません。ましてや1対1ではありません。無言の死ねに対して毎日生きていくことで返事をしています。しょうもないと思うでしょうが私は劣等感にまみれてるし、死へ導かれるように生きている。でも私が作った目に見えない物たちには幸せに生きていてほしいな。傲慢でごめんね、

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劣等感

劣等感には慣れている。小さいころ、私の習い事と同じことをやっていた子がいて絵も、ピアノも、水泳も勉強も、私より後からやりはじめて1ヶ月で超えちゃう子が目の前にいた。それで私は人よりできることが少し劣っていることに気づいたし、小学1年生にして「あぁもう私は出来損ないなのか」と感じてしまった。でも自分の作った絵は人一倍好きだったし誰とも一緒じゃなくても自分の作るものがそばにいるなら全然嬉しかった。模写が苦手で少しでも自分の色を出したくて金髪だったはずの女の子の髪色をピンクと黒の髪色に塗ったら絵の先生に物凄く怒られた。そうやって私は自分の世界を深く創りすぎたのかもしれない。正しいことなんて一つもないじゃないですかこの世の中。上位互換が全てみたいなのが一番ムカつくんだよ。

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眠い

君はなんのために生きているの?それとも私たちは生かされているの?パパとママの結果が私たちだとしたら私たちは結局なぜ生きているんだろう。あなたも結局は愛によって生かされているかな。親子はもう責任みたいな愛だからさ。愛して欲しいで出来たものが結局は愛さなければいけない結果になってしまうんだよね。そう考えるとその間の無縁から出来る愛はすんばらしいよね。家族の責任もなく、好きという感情から生まれる愛はさ、なんか凄いよね。ある意味傲慢っていうかでもそれさえもいいなって思われてしまうんだよね。でもその愛の結果が責任に変わるのってやっぱりおかしな世界だなあと思う。今日の天気は凄い良かった。日が出てないから、ずっと夜みたいな気分だし、月も出ないし、まさに誰も見てない夜だよ。誰も見てないから、いいよって言ってくれたら心がスってなる気がする。

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自己満だから

最近『あざとい』という単語を耳にします。

私的イメージはモテるテクニックを兼ね備えた女子のことかなって思ってた。SNSで買ったものを太ももの上に載せてさりげなくエロみを見せる女子達の事かなって思ってたし、ああこういう女子はよくいるよねすげえや程度に考えてた。

 

そもそも『あざとい』ってどういう意味なんだろうって思って検索したんだけど、え、これ褒め言葉じゃないんだって今知って全国のあざといの意味を知らない人に教えてあげたい気分になった

 

 

そもそもなんであざといという言葉が引っかかってるかっていうと女子にあざとさは必要なのか?と考えたのがきっかけであって、少なからずあざとい女子より素直な女子の方が可愛いと思うのは私だけじゃないはず。オメエも女だろって思ってる読者のみなさん、思春期に超絶的な闇を持っている私は女子として生まれてきたけど純粋にキモいオッサーンなので悪しからず。まあそれはいいとして、あざと可愛い女子ってなんなんだろうってあざとくもなければおっさんとカミングアウトした私が考えてしまうまで悩みに悩んでた時、一人の女優さんの写真をみて、表情がまるで子供で、無垢で、可愛らしさがあって、そこであざと可愛いは滅びゆくカルチャーだと思った。狙いもせず、ただ生きてる!っていう表情・性格がどれだけ人間臭くていやらしさがないか。私は人のことは嫌いだけど人の顔が好きな理由はこれだと納得できるような一枚に出会えることができたのでした。女子に限らず、やりたいことにあざとさを加えてるやつは一生偽りを抱えたまま生きていくと思うしそれはいい作品とは言えないのでは。

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ごめんなさい

家中の読める本を読み尽くし、図書室の本も飽きたころ私は中学生の姉の日記を見つけて読み始めました。姉の友達との手紙も勝手に読んでました。私の知らない世界だった。興奮した。好きな男の子がこんなことをしてくれたとか信頼している友達がトイレで泣いてたとかそんな小さな世界が中心になってる出来事が好きでたまらなかった。私のことも書いてあった。愚痴だったけど、日記に名前が載ったことが嬉しかった。私は彼女の日記の第一読者だった。中学生って大人の世界なんだなって思ってた。姉の好きな男の子はどんな顔なんだろうか、行動からするとめっちゃかっこいいんだろうな、こんな思わせぶりな行動とかとっちゃうなんてとか妄想に妄想を重ねていたけど数年後に姉の卒アル見たら全然タイプじゃなくて萎えた。私も中学生になった。全然想像と違ってびっくりした。楽しさのかけらもない毎日で音楽しか信用できなかった。形だけの友達との手紙にも歌詞をめちゃくちゃ書いた。多分誰1人響いてなかった。ジュークとJudy and maryをひたすら聴いてたあの頃。CD貸しても対して感想とかなかったから誰も聴いてくれてなかったんだと思う。でも当時流行った曲は全部ダサいって思ってた。姉は高校生になっていた。日記はまだ3段目の引き出しにしまってあった。今まで綺麗で可愛かった姉の字がめっちゃ変な達筆になってた。ダサかった。でもそのダサささえも良かった。私はこれからも彼女の日記を読み続けると思う。しょーもねー

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